片倉家歴代当主

片倉家歴代当主

片倉家歴代当主

【片倉 景綱(1557-1615)】
出羽国置賜郡下長井荘宮村(現在の山形県長井市)に米沢八幡宮神主の子として生まれた。天正3(1575)年、伊達政宗が9歳の時、10歳年上だった景綱は政宗の傳役(もりやく)となり、伊達政宗の訓育に勤めた。また、景綱の異母姉の喜多は政宗の乳母を務めている。

天正12(1584)年、伊達政宗は家督を相続。米沢を本城として各地で戦を戦い、景綱はその参謀役として政宗を支え、豊臣秀吉・徳川家康からも一目置かれる存在となる。

天正17(1589)年の「摺上原合戦」で葦名氏に勝利した伊達政宗は、会津を含む大領国を形成し奥羽の覇者にのし上がった。一方、天下統一を進める豊臣秀吉は九州を平定し、小田原の北条氏追討を決定。天正18(1590)年に諸国大名に小田原参陣を号令した。
伊達政宗にも参陣を促す書状が届いたが、伊達家では参陣か、秀吉との決戦か意見が分かれた。その時、景綱は秀吉の勢力を警戒し、政宗に小田原参陣を進言した。その時に「夏の蠅はうるそうござる。二度三度と追うても、いよいよ増してまいるので」と伝えたという。

伊達政宗は遅れて参陣し、秀吉に叱責されたが本領を没収されることはなかった。この時秀吉は景綱に田村領5万石の大名に取り立てる御朱印状を渡したが、小十郎は政宗への忠義が薄くなることを理由に断ったという。景綱は慶長7年(1602)に伊達政宗から白石城(1万3千石)を拝領した。
【片倉 重長(1584-1659)】
景綱は自分の子が生まれたら、その子を圧殺するつもりだったという。自分に子どもができたら政宗への忠誠心が不十分になると考えたからである。これを政宗がとがめ、生まれたのが重長だった。元の名は重綱であったが、徳川家三代将軍家光の嗣子・家綱の「綱」の字が諱字(いみなじ)であったため「重長」に改名した。

重長の初陣は慶長5年(1600)の伊達政宗の白石城攻めだった。父景綱とともに出陣し、白石城本丸を攻めるなど活躍した。

慶長20(1615)年の大坂夏の陣では病床にあった景綱に代わって「伊達の先陣」を務めた。当時1万数千のうち1割近い1400人が片倉隊だった。敵将の真田幸村と激闘を繰り広げ、後藤又兵衛、薄田兼相ら敵将を討ち取るなど、2日間で150人の兜首を掲げたといわれる。この激闘で「鬼小十郎」の名を天下に響かせた。この時、真田幸村から娘・阿梅(おうめ)らを託され、阿梅はその後、重綱の後室となった。
同年の大坂夏の陣の後に景綱が死去し重長が家督を相続し政宗を支えた。寛永13(1636)年に政宗が死去すると伊達家二代の忠宗を支えた。
鬼小十郎まつり
毎年10月に白石城を舞台に行われる秋の一大イベント。片倉重長の大坂夏の陣での活躍を合戦シーンなどで再現する。全国から募集したエキストラなど総勢100人以上の甲冑武者による勇壮な合戦の様子は一見の価値あり。
【片倉 景長(1630-1681)】
松前安広を父、重長の娘 喜佐を母とする。重長には男児が生まれなかったため、孫にあたる景長を嗣子とした。万治2(1659)年、景長は家督を相続。その後江戸・小石川堀普請の総奉行となる。

一方、当時の伊達家は安泰ではなく、万治3(1660)年、藩主綱宗は所行不行届のため幕府から隠居させられ、当時3歳の綱村が家督を相続した。この後見として実権を握った伊達兵部と反対派の権力闘争が起こった。これが「伊達騒動」といわれるお家騒動である。江戸幕府に訴訟が受理され、寛文11(1671)年、江戸幕府老中・酒井邸で裁定の場が設けられたが、その場で兵部側家老の原田甲斐が対立していた伊達安芸を斬殺するという「寛文事件」が起こった。仙台藩内は大騒動となったが、景長は綱村の命で奉行職(家老職)となって藩政を仕切り、事態を収拾した。

延宝8年(1680)に片倉家の墓所を白石市近郊の愛宕山山麓に決め、初代景綱・2代重長のご廟所を傑山寺から移した。
伊達家の危機を3度救った片倉家
「片倉代々記」によると、伊達家重臣富塚内蔵充が景長に次のように語ったといわれている。
「片倉家はこれまで伊達家の大難を3回救った。
一は、景綱が秀吉の小田原征伐の時、政宗に忠諌して小田原参向を行わせたこと。
二は、重長が大坂の陣において比類なき武勇を致し、伊達勢の手柄は日本一と徳川家康をはじめ天下に認めさせたこと。
三は、景長が寛文事件(伊達騒動)という伊達家の大難を救ったことである。」

この富塚の話を聞いた同席の者は、いずれも美談なりと誉めたたえたといわれています。
片倉家歴代当主
第四代 片倉村長(むらなが)第五代 片倉村休(むらやす)第六代 片倉村定(むらさだ)
第七代 片倉村廉(むらかど)第八代 片倉村典(むらつね)第九代 片倉景貞(かげさだ)
第十代 片倉宗景(むねかげ) 第十一代 片倉邦憲(くにのり)
参考文献
「白石城物語」(読売新聞東北総局)
「よみがえる白石城」(碧水社)

※このページは白石城内の展示パネルの英訳・繁体字訳の文章にWEBオリジナルのストーリーを加えて制作しています。

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