白石城復元ストーリー①

白石城復元ストーリー①

白石城復元ストーリー①

白石城三階櫓(天守閣)の復元は計画から完成まで8年の時間を要し、その姿は文献資料や発掘調査をもとに、文政2年(1819)の焼失後に再建された姿を忠実に再現している。その工法は日本古来の建築様式に基づき、全国的にも数少ない木造復元は、学術的にも高い評価を得ている。

白石城復元のきっかけの1つが、昭和62(1987年)に放映されたNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」である。俳優の渡辺謙さんが主演し、年間平均視聴率39.8%を記録。片倉景綱役を西郷輝彦さんが演じた。この「政宗ブーム」により、片倉景綱ゆかりの地だった白石にも多くの観光客が訪れ、白石城復元への機運が高まった。
翌昭和63(1988年)の「第三次白石市総合計画(通称ホワイトプラン)」の答申の中に正式に白石城の復元が提言された。

白石城の復元計画
復元にあたり、白石城の天守閣を撮影した写真が探されたが、明治初めに解体されたため、白石城の天守閣そのものを写した写真を探し出すことができなかった。なお、会津若松城については写真が残されており、天守再建の有力な手掛かりになった。

天守閣復元の根拠となったのが、白石城が描かれている絵図だった。文政2年の焼失後に再建された姿を描いた「片倉家屏風絵」には三層の天守閣が映っており復元の参考となった。高さや平面の規模については江戸時代の文書に記録があり、発掘調査で確認した遺構などを元に復元した。
石垣
天守閣の石垣はほとんど残っていない状況だったが、「野づら積」という石をほとんど加工せずに積み上げる方法で石が積まれ、細かい部分は手作業で石が詰め込まれた。松川上流の蔵王山系の安山岩など約3,000トンの石が使われた。
天守閣の石垣に使われた「野づら積」は室町時代から天正年間にかけて用いられ、いわゆる戦国時代の石垣はこの工法が取られた。石垣は東日本大震災の地震にも耐えるほど強固だった。
一方、大手門桝形付近の石積は石の前面を加工し間詰め石を入れる「打ち込みハギ」というより精巧な技法で作られている。
数百年の年月に耐え得る城にするため、木材にこだわり、宮大工の手によって組み上げられた。建築に携わった京都の職人は「城づくりに関われるのは、宮大工でもめったにはない。職人冥利につきる」と話していたという。当時の新聞記事によると、全国から300人近くの職人が集まり、工事担当者は「同じものをもう1つ造れと言われてもできるかどうか。これだけの古建築に携わる職人をもう一度集めることは困難だろう」と話していたという。
壁の芯にあたる部分を竹木で組む「竹小舞」に土を塗っていく手法で作られた。壁土は地元の田んぼの土に刻んだわらを入れ、1年間寝かせ
て強度を高めた。この土を表・裏それぞれ9回塗り上げ、仕上げの漆喰を含めると、厚さは24センチにもなる。
2011年の東日本大震災では、壁がはがれるなどの被害があり、漆喰壁の補修などを行った。2021年2月の地震でも壁にひびが入るなどの被害が出たため、2022年2月から修復工事を行っている。
岐阜県で焼かれた耐寒性のある美濃瓦が使われた。軒先から上に向かって丁寧に葺き重ねられており、5枚おきに釘止めされている。1枚の瓦は約30センチ四方で表に出ている部分は12センチ。表に出ていない部分の方が多い。軒丸瓦には伊達家の累代の家紋「三ツ引両」が見られる。
天守閣の屋根に取り付けられた鯱瓦は東側が雌、西側が雄。彫刻したものを乾燥させ1160度で焼いたもの。高さは4尺3寸(約1.3メートル)、重さは120キロある。
参考文献
「白石城物語」(読売新聞東北総局)
「よみがえる白石城」(碧水社)

※このページは白石城内の展示パネルの英訳・繁体字訳の文章にWEBオリジナルのストーリーを加えて制作しています。

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